
創立者《初代校長》 原田 観峰(1911年〜1995年)
本名、孝太郎。観峰と号した。
明治44(1911)年、福岡県瀬高町(現みやま市)に生を受け、4歳から小野鵞堂の作品を手本として筆に親しむ。
17歳で上京し、吉田苞竹、松本芳翠の師事を仰ぐ。一方、武蔵野漢学塾の高田集蔵に漢学を学び学問の幅を広げる。太平洋戦争により応召し、書に長けていたことから文書や文字の書き方を指導する軍隊書範をまとめる。
戦後、福岡で5つの幼稚園を運営したが、42歳の年に「正しい文字 美しい文字」普及活動を展開、その半生を書道教育に尽くした。
また、海外においても書道を中心とした文化交流を積極的に行い日本の書道を広く世界に紹介した。
昭和60(1985)年、74歳で滋賀県五個荘町(現東近江市)に広い視野を持つ書道指導者の育成を目的とした「淡海書道文化専門学校」を開校し、初代校長として指導の陣頭に立った。
平成7(1995)年、逝去。享年84歳。